夜空を見上げて何を想う
月はただ照らすだけ
星はただ瞬くだけ
風は頬を撫でるだけ
−夜の中に光る風−
気付いた時にはもう遅く、寝ている時に部屋から引きずり出された。
突然ドアを破って入ってきた里の大人たち。
ただの子どもの自分に抵抗する力もなく、手を振り回しても足を振り上げても、その身体達はびくともしなかった。
聞こえるのは自分への罵声。
感じるのは胸の痛み。
殴られても、蹴られても、痛みという感覚が麻痺してしまったかのように、どこか遠くの出来事に感じる。
どうせ身体の傷なんて、すぐに消えてしまう。
ただ、このうずくような胸の痛みだけは決して消えない。
燻ぶった火種のように、チリチリと燃え続ける。
「消えてしまえばいい…!」
「出て行け、この里から」
「汚らわしい…」
「俺の家族を返せ」
「化け物が…!」
いらない子ども…化け物…死ね、と望まれる自分。
ぼんやりとそんなことを思っていると、ガツ…と嫌な音がこめかみから伝わる。
目の前が暗くなって意識が薄れる中、ふと空を見上げた。
「…真っ暗…ってば…」
夜はいつもナルトの味方だった。
月は柔らかい光で包み込んでくれた。
星は季節ごとに色々な顔を見せてくれた。
闇はこの目立つ外見を隠してくれた。
太陽の下ではまぶしすぎる。
自分はきっと、あの強く眩しい光の中にいてはいけない。
「……っ」
風が肌を撫でる感触に、フルリと身体が震えた。
あれからどのくらい時間が経ったのだろう。
腫れた目蓋は重く、ようやく見上げた空はまだ暗く、周りも闇に包まれている。
気を失っていたのはそう長い時間ではないはず。
こめかみを伝うヌルリとしたものを感じて、その気持ち悪さに拭おうとしても腕が上がらない。
そういえばさっき折られたような気がする。
けど、どうせ明日には治る。
「化け物…か…ほん、ほんとに…そうだってば…」
自分は皆から嫌われるただの化け物。
おそらくそうなのだろう、と素直に思う。
ただ、あの自分を見る冷たい瞳が怖い。
あそこにあるのは嫌悪感と憎しみだけがこめられた視線。
どれだけ晒されても、何度にらまれても、慣れる事なんてない。
「ふっ…くは…ぁ…」
腹筋に力を入れると、身体が悲鳴を上げる。
けれど、どうにか起き上がれそうなところまでは回復した。
いつまでもこんなところにいれば、またいらない暴力を受けるかもしれない。
そう思って立ち上がろうとした瞬間、鳥肌が立ち、血の気が引いた。
誰か、いる。
あぁ、またか。と諦めて身体の力を抜いて再び目をつぶった。
今の自分にはろくに逃げることさえ出来ないのだから。
だが、襲ってくるだろう痛みと衝撃は、いくら待ってもやってこない。
罵る声さえ聞こえない。
「……?」
どうかしたのかと、恐る恐る目を開けると、目の前に大きな手が見えた。
「…ひ…っ!」
殴られる、と反射的にぎゅっと目を閉じる。
次に感じたものは、予想に反して、フワリと優しく頭を触られる感触。
撫でられていたのだと理解したのは、ゆっくりと抱き上げられた後だった。
「……」
「…っ?」
なおも無言で自分を撫でているこの大人は一体何なのか。
こんなことをされる経験のない子どもには分からない。
分かるのは、この目の前の大人が自分を殴ろうとしていないことだけ。
「…ん、で?」
「?」
「何で殴らない…ってば?」
ナルトを抱き上げたまま歩き出した、黒く長い髪と色素の薄い瞳を持った大人。
その醸し出す雰囲気は、明らかに先ほどの大人たちとは違っている。
「殴る理由などない」
初めて聞く声は、落ち着いた低い声。
「…俺…化け物…だってばよ?」
「…そうなのか?」
真剣な声音に思わず身体が反応する。
かたかたと震えが止まらない。
「…って、だって、俺、化け物だってば」
「…」
「けがら、汚らわしい…って…いちゃいけない…んだって…」
思いつくままにしゃべった後、子どもは何かに気付いたように暴れ出した。
「は…離して…離して…っ!」
「…落ちるぞ。大人しくしていろ」
「駄目…駄目だってば…よ、汚れちゃう…触っちゃ駄目…」
「…っ!」
この大人に殴られるかもしれないという恐怖ではなく。
自分に触ったら汚れてしまうから離して、ともがく子どもを先ほどより強く抱きしめる。
子どもの見上げた先には、ギュ…と眉間に皺をよせて目を閉じ、辛そうな、苦しそうな顔をする大人。
どうしよう。
どうしたらいいのか分からない。
オロオロと自分を抱く腕と顔を交互に見ながら戸惑う。
「!!」
前に、じっちゃんがやってくれた。
苦しくて、でも泣けなくて…そんな時に、ただ何も言わずに抱きしめてくれた。
あったかくて、切なくて。
同じようにすれば、この優しい大人にも伝わるかもしれない。
ただ、それだけだった。
自分の身体jは小さくて、腕をいぱい伸ばしても首にしがみつくことしかできないけれど。
しばらくすると、ほっとしたように力を抜いたのが分かった。
森の中の少しひらけたところに、静かに降ろされる。
「傷を見せてみろ」
「…だ、だいじょぶ…だってば…よ?」
何もしなくてもすぐに治るから。
それを聞いた大人は、小さく息を吐いて、座っている自分と同じ目線になった。
「傷は確かに治る。だが、治す手助けができるのなら、私はする」
「…?」
「沁みるぞ」
一言そう言うと、持っていた筒を傾け、傷口を洗っていく。
パリパリに血の乾いたこめかみの傷は、特に丁寧に洗われた。
薬草を塗り、手早く包帯が巻かれていく。
「あ…あの…」
「何だ?」
「俺…うず、まき…うずまきナルトだってば…」
「そうか。私は日向ヒアシという」
「…!!」
びっくりした。
たとえ気付かなくても、名前を聞けば里の忌み嫌われる子どもだと分かるのに、普通に名乗り返された。
「日向…さん…?」
「…それでは一族の誰だか分からぬ。ヒアシで」
「ヒアシさん…だってば?」
「…まぁ、いいだろう」
何が「まぁ、いいだろう」なのだろうか。
いくらナルトとはいえ、明らかに目上の人を呼び捨てになどは中々できない。
「あ、ありがとうございます…てば」
「…いつでも」
「ふぇ?」
「いつでも手当てくらいしてやろう」
だから、一人で傷つくな。
胸の痛みは治らない。
ただ、癒されるものだと初めて知った。
「…っ!!」
「子どもは声を上げて泣くものだ」
「…ひぅ…っく…」
「ナルト」
零れる涙を拭われる。
滲む視界にぼやける優しげな顔。
初めて呼ばれる名前はどこまでも優しかった。
見上げれば、星空
涙に光る、月明かり
微かに香る、風の匂い
「よぉ、日向の」
「…奈良か」
顔に傷を持つ男、奈良上忍は久しぶりに顔を合わせる男に声をかけた。
普段から表情を崩さない日向の当主が珍しく穏やかな顔をしていたのである。
「…えらく機嫌よさそうじゃねぇか」
「少し、な」
そう言って口の端を持ち上げたヒアシのその理由を、奈良の当主が知る日は…そう遠くない。
次に会った時。
今度は泣き顔ではなく、あの優しい子どもの笑顔が見たい。
手始めに。
「ヒナタを連れて行こう…」
是非、あの可愛い子を娘の婿に…っ!!
日向当主が密かにそう決心したことを知る者はまだ、いない。